神様がいっぱい

夕暮れ時
閉門間際の下鴨神社
いつもの神社と違かった。
朱色の門の向こう側で
確かに世界が違って見える


ざざざざざ


と音をたて
右に左に
今にも森が動き出しそうだった。



森を歩く帰り道、
西側の樹々の間にまんまるオレンジの夕陽の光がちらちらと射していて
「神様」ということについて
ブログにどう書いたらいいだろうと考えていた。



鴨川でも考えていた。
昼間、溢れる光と温かさの中で
鴨川いっぱいの菜の花の黄色が
あっという間にしぼんできたことや
代わりに山吹の濃い黄色が勢いを見せ始めたことや
たんぽぽの黄色は菜の花とも山吹とも違うんだと思ったことや


なんやかんやで、考えていた。


こんなわたしでも
こんなに自然の気配に鈍感な私でも
何をどうしたって毎日感じ入ることがある。


その感情の中に
「か」とか「み」とかの音が
散りばめられているような気がする。



ああ神様。って
私は思わないけれど



ああ綺麗だなって思う心の中に
「か」とか「み」とかが確実にあって




そういう時の綺麗だなっていうのは
すごく強い。強く残る。



そういう綺麗だなっていうのが
ここに、京都にたくさんあるや、って毎日思う。
春は特に。毎日毎日、すごく違うから。



神様がいっぱいいて
それを 割と誰しも 
(言葉にしてもしなくても)
感じている。
実は共有している。





それが京都の、


わたしが京都に惹かれた、

最大の理由なんじゃないかって。




そんなことを考えながら家に帰って
LIVING DESIGNの2008春号を読んでいたら
「京の神」という題で
この私のしどろもどろの思考を
全てとっくのとうに整理整頓して
さらに先へ先へ広がった文章が載っていて


うへえ


と思った。
森田さん、旦那様の徹さんの文章だった。



ほへー