みんなで登る山

忘れないうちに
書き留めておかないといけない、
昨日のヨガ祭りのこと。

昨日は一日、ヨガ合宿のような祭りのような一日で
8時からいつものようにアシュタンガヨガのクラスがあり
一度家に帰ってまた3時からアシュタンガ。
ハーフプライマリーを一日のうちに
通しで2回するなんて初めてでした。
一日の中で、からだがぐんぐん変化していく。。。
最後には苦手の前屈もペタっ。
お腹と太ももがくっついているのだから不思議。
あれ?これわたし?と思うくらい。
もちろん久々のヨガ、今朝起きれば全身筋肉痛で
昨日の最後の柔軟性など
どこぞへ吹き飛んでいつも通りなのだけれど。


さておき昨日は、その後5時から瞑想のクラス、
クラス最後は7時半をまわってから質問&実践形式で
日頃の疑問解消講座、
ひとつひとつのポーズ(アサナ)への丁寧なアプローチ。
最後には手づくりうどんや差し入れていただいた果物、野菜のおかず等
たくさん頂いて、家に帰ったのは11時半。。。


もりもりもりだくさん、
濃すぎる程濃い一日を終え、眠り、今朝目が覚めて
何かがしみじみ分かった気がして
つつつつつー と泣けました。


先生が一番最初に言ってくれた言葉、
「みんなで 頂上にある幸せを求めて 山に登っている」というお話。
登り方にはロッククライミングみたいに直線難解コースも有れば
迂回ぐるぐるのんびりコースもあるし
登山靴で登る人もいればジョギングシューズの人もいれば
裸足の人も下駄の人もいるかもしれない。
でもどれが正しいとか
どれが優れているとか
そういうことではなくて
それぞれに合った靴で、
それぞれに合う道を行けばいい。
今履いている靴が、今出会った靴が、
自分に合った靴と信じる。


ヨガは靴。
自分が幸せになるための道のりを
共に歩み、手助けしてくれる
道具のようなもの。


わたしが履こうしている靴は
アシュタンガヨガは、
登山靴かなとぼんやり思う。
固くておっきくて、すぐに足には馴染まない
丈夫な靴。
苦手だな、固い靴。
でも、わたしには、どうやら今、
必要そうだな。。。
だって、山に登りたくなってる自分がいる。
たとえ話じゃなくて
実際のはなし、登山に惹かれる自分がいる。
前は、なんでわざわざ辛い思いしに行かなきゃいけないのか
分からないやと思ってたのにな。
でも恐らくこの変化も、ヨガのせいなんだ。
今は多分、前より少し、辛い時にどうしたらいいか
分かるから
前は、休むか がむしゃらに進むかしか
方法が分からなかったから。
比喩的な話でなくて
現実に 歩く、進む、という行為に関して。


と、まあ、
こんな風に どわーーーーっと
思考が四方八方へ広がるんで
まとまらないんですが



なんで今朝涙がでたのか
思い出してみると


そうか みんな 登ってんだなあって
アシュタンガヨガやってる人もスロウフロウヨガの人も
ヨガやってる人もやってない人も


みんな頑張って
登ってて


必死に登ってるときって
もう 本当に 対自分で
他の人が
どんな服装かとか
どんな靴はいてるかとか
どんな風に歩いてるかとか


どーでもいいというか
そんなこと目に入る余裕ないというのを
ついこないだの旅行中の山登りやサイクリングの記憶と相まって
思い出していて


いかに日頃の自分が
虚栄心の塊か
人の目線ばかり気にしているかを確認すると同時に


みんなそうやって
必死になったりしながら
登ってるんだよなあという
当たり前の事実に



なんだかかんだか


あったかい気持ちに
なったわけでした。



へたくそでも
練習不足でも
順番覚えてなくても
恥ずかしくても
怖がらなくていいんだ
そのときの自分で
そのときできることを
一生懸命やればいいんだ



長い日記、終わり。

[写真]

旅行シリーズ。
山吹城跡から、山の海を臨む。
風に吹かれて水筒のお茶を飲む幸せ。


観光客であふれる石見銀山だったけれど
標高480mというこの山の頂上まで来る人は
誰もいなかった。
わたしはせめて1000mは登ったろうと思うくらい必死だったのに
たった480mでした。
島根県大田市 石見銀山遺跡