108回太陽礼拝2008

肩、重いです
乳酸〜 な感じです
銭湯に行こうと思いながらもうこんな時間だ。



初めてのときの108回太陽礼拝
ただその回数、終えるのに必死だった気がします。
アシュタンガをやり始めて1ヶ月後位のことでした。
腕ぶるぶるさせながら、頑張ったような記憶がある。
途中で少し休んだ記憶も。
いろんな想いが、始終駆け巡っていたような記憶も。


それから一年、経ったのだなあと感じた今回の108回。
煩悩の数だけ、太陽礼拝Aを繰り返してきました。
最初のマントラが、やけに気持ち良かった。
マントラの意味、よくわかってませんが(すみません)
お腹の底から声をだす感じ、
それがみんなの声と連なって一体になる感じは
とても気持ちの良いものです。
さあ ヨガの時間だ。と思うのです。


久しぶりのヨガ。
日常の中で、自分で練習をすることの大切さを痛感しながらも
やっぱりなかなかできないでいるから、
こうして先生がいて、
みんながいて、
広々とした空間があって練習ができるということ自体、
本当に有難いことだなと感じ入りながら
呼吸を始める。
でも、できないのねやっぱり。


久しぶりに練習するとはこういうこと。
吸っても体の中に呼吸が入っていかないし
吐いても出し切れていないような感じで
気持ちよさを味わえない。
始まってからしばらくそんな感じで、
がちがちの体と格闘している感覚。
伸びて気持ちいい、と思えないくらい
体が固まってしまっているし、
やたら周囲の人のポーズしている様が目に入って気になる。
集中できない。
ちょっと熱いな、とかそんなことばかり気になる。
レッグウォーマーを脱ぎ、
長袖Tシャツを脱いでTシャツになる。
なんとか頑張って50回のカウントで
Tシャツを脱いでタンクトップになる。


そこからが楽しかった。
Tシャツ一枚あるかないかで
心地よさが全然違うと思うのは私だけなんだろか。
腕に衣服がない状態は、ものすごく体を動かしやすく
気持ちよく、
動かすのが楽しい、という感じに変わる。


体もやっとほぐれてきて
ある程度までは伸びるようになり
型を体が覚えて
勝手に体が動くようになる。
呼吸に集中できるようになってからは
頭は真っ白で
とにかく呼吸。ひたすら呼吸。
「IN」と「OUT」。
先生のカウントに合わせてひたすら
息を吸うことと吐くことに意識を向ける。
途中で、
呼吸のために正しいポーズがあるような気がしてくる。
疲れたからと中途半端にポーズをとるより、
しっかり意識してポーズをとった方が、
深く呼吸ができるような気がしたから。


深く呼吸ができれば気持ちいいと感じる。
太陽礼拝しているというより、
呼吸をしているところに、体がついていくような感じ。
体の疲れは確実にあるけれどさほどそっちに意識がいかない。
気がつかない。


途中90回くらいで、
「あ、これ終わったらすぐに、持って来たキノコをオーブンに
 いれなきゃな・・」とふと思ったとき、
ぐんと時間が間延びして、体の疲れに気付きそうになった。
あ、やばいぞと思ってすぐに呼吸に意識を戻す。


100回のカウントを先生が告げ、
3カウントにしていた呼吸を5呼吸に戻す。
ゆっくり、丁寧に。
終わるのが待ち遠しい。
でも、終わるのがもったいないとも思った。
100回続けて来た今のこの状態、この体と心の状態が
終わってしまうのがもったいなかった。
一回一回、大切にしようと思った。
静かな気持ちのまま、108回が終わった。


終わってから先生が、
「この一回一回が、一歳一歳だと考えると、
 なんだか人生みたいじゃない?」と言っていた。
20〜30回くらいまで、妙にむしゃくしゃして、
40〜50回くらいで、なんか突き抜けた感じがして楽しくなって
静かな気持ちで100のカウントを過ごして行く。


そんな人生、いいですよね。




[写真]

早速今日もカメラを忘れる。
カメラと仲良くなるのが冬休みの宿題です。
今日の持寄り忘年会、すこぶる美味しいご飯だったので
載せたかったのだけれど。ほんとう、美味しかったー
ありがとうございました。
人の集まるタイミングできちんと料理のできる人になる、
これは来年の課題です。、。、いつもすみません、。、。


で、全然関係ないけど
11月に行った「おっきん!椋川」の写真を思い出して載せる。
椋川のおばちゃんおじちゃんおばあちゃんおじいちゃんの作る料理とお餅の
美味しかったことよ。